私は今でも忘れることはない。どこか悲しげで虚無感に満ちたそんな表情を無理に覆い隠すように微笑んでいた彼女――リインフォースを。彼女はどんな時でも優しかった。独り心を閉ざしていたヴィータにさえ、自分が悪いのだと気遣うことを止めなかった。
私達は永く、本当に永く存在し運命を共にしてきた。彼女が実体化していた時間は多いとは言えないが、その存在はいつだって感じられたし、私達はそのことにどこかで安心感のようなものを感じていたように私は思う。
なのにこうして愛すべき主と平穏とも呼べる時間を手に入れた今、もう私達は彼女の存在を感じることすら出来ない。誰より彼女がそれを願っていたというのに。そんな現実を私は未だに認めたくはかった。
きっと、いや、私は彼女を―――――――
―――――あなたを守る幸せ―――――
(・・・ナム・・・シグナム?)
誰かに呼ばれた気がして目を開くと、まさに横から主がのぞきこんでくるところだった。
「うわっ、あ、主!?」
私は情けなくも驚きの声をあげてしまう。しかも顔が近い。
「なんや、起きてたんか。呼んでも返事ないし、てっきり寝てるんかと思たわ。」
「すみません、少し考え事をしていました。」
どうやら自分の世界に入っていたらしい。
先ほどまで洗いものをしていたはずの主はすでにパジャマに着替え寝る準備を済ませたようだった。
「ふーん、考え事ねぇ……。」
少し考え込む主。私は素直に何をと言う気にはなれなかった。
だが――――
「フェイトちゃんのこと?」
ひらめいたように弾んだ声でそう主に問われる。もちろん言い当てられるとは思っていなかったが、真っ先にその名をあげられるとも思ってはいなかった。
「ち、違います!どうしてテスタロッサなんですか?」
「どうしてってシグナム、フェイトちゃんといっつも一緒におるやん。てゆーか、うちが思うにフェイトちゃん、シグナムに惚れてるんやないかな?」
さも当然とばかりに何気なく言われたそのセリフは、しかし予想だにしていないものだった。
「まさか……」
そう口にして自らに否定の言葉を聞かせてみる。そんなことは思ったこともなかったが、主に言わせれば私は少し鈍いところがあるらしい。もちろん自分ではそんなつもりなど全くないのだが。
「ま、今度聞いてみよかな。んでそういうシグナムはフェイトちゃんのことどう思ってるん?」
「え?そうですね・・・、腕を競い合うよき友と言ったところでしょうか。」
「それだけなん?」
ウリウリと悪戯な笑みを浮かべて主が肘で小突いてくる。や、やめてください…主。
「え、えーとあとは・・・、妹というものがいたならこんな感じなのかと少し思ったりします。」
「なるほどなぁ。フェイトちゃんみたいな健気な子が妹やったら溺愛したなるんも仕方あらへんな。」
うんうんと納得する主。主の言うことは実にもっともで、正直なところついつい面倒を見てやりたく・・・・、いや決してそんなことはない、うん。
「シグナムはさぁ、好きな人とかおるん?」
主として知っとくべきやと思うんよ、としみじみと。
もちろんそれは口だけで、言いたくないことは答えずとも咎めるようなことなどあるはずもない。けれど私は主とその守護騎士としては、言うべきでないこと以外はできる限り答えるのが筋だと思っている。隠し事のようなことは嫌だし、そもそも主には何も隠す必要などないのだ。
全ては主のために。守護騎士とはそういうものだろう。そして現主八神はやては仕えるにたる人物だ。
「私は守護騎士の身ですからそういうのはあまり・・・・」
「もう、そんなん気にせんでええっていつも言ってるやん。ほんまシグナムは堅いなぁ。まぁそこがシグナムのよさでもあるんやけど。」
「すみません、性分のようです。」
苦笑しつつなんとなく謝ってしまう。だがいいところでもあると言って貰えるのは素直に嬉しかった。
「それでどないなん?誰かおらんの?」
主の目は相変わらず好奇心に満ちている。おそらくこの調子だと何かしら答えねば解放してはもらえまい。
「そうですね・・・・・」
そう言って私はわずかに思案する。思い浮かぶのは今を生きる大切な゛家族゛と仲間。
そして―――――・・・
「今は分かりません・・。ですがかつて心惹かれた人ならいました。」
やはり好きだったのだろう――
真っ先に浮かんだのは私の心に色褪せることなく生き続ける彼女だった。私が魅かれていた存在。もっとも、そんなことは考えずとも最初から分かりきっていたが。
「あっ、なんかうち聞いたらあかんこと聞いてる・・・・?」
私は自然、暗い雰囲気を出していたのかもしれない。気まずさを感じたのか、主がわずかに慌てた様子でこちらを伺っている。
「いえ、大丈夫です。」
「そうか?ほんならええけど――」
「でもその人は大切な人を守るために自らが消えることを選びました。」
なおも心配そうに私を見上げる主に私は彼女の面影を見た気がした。どこまでも相手を思いやるその優しさ。そして自分の痛みには目をつむりかたくなにそれを見せようとはしない。だが傍から見ればもっと自愛をと言いたくなるような、そんなところに私は魅かれたのかもしれない。
「その人に誓ったんです、あなたを守り通すと。」
そっと主はやてを見やる。これがおまえが守りたかった命なんだな、――リイン。今では足もほとんど回復しこれと言った不自由もなく、明る過ぎるぐらい明るく、そして真直ぐに育っている。
「それって―――・・・」
まさか、と続く表情のまま主はそこで言葉につまる。ここまで言えば誰のことを言っているのかは明らかだろう。
「ええ、そうです。ですから少々過保護だとしてもあまり邪見にしないでくださいね。」
「シグナム・・・・」
少ししゃべり過ぎただろうか。主に彼女の話をすることはつらい別れを思い出させるだけだったかもしれない。目にはうっすらと涙が滲んでいる。
「ほんなら・・・ずっと一緒におってな。うちの前から消えたら絶対あかんから。」
主が私の腕に縋りつく。その声はあまりにか細く切なさに満ちていた。
「はい、もう誰も欠けさせたりはしません。」
「約束やで。」
主の手をしっかりと握りしめる。
私とて想いは同じ。彼女との誓いもある。それに何より彼女が残してくれた今を、私は守りたいのだ。
今まで知らなかった、失うことの痛みなんて。失うことも、失って悲しみにくれるものも自分にはないと思っていた。だが知らず知らず変わっていたのだ。永い時の中で。そして彼女を失って初めて知った。失うことの怖さ、今という時の大切さを。今主が、私達がこうして日々を過ごせることがどれほど幸せか。そう、もう誰も失うわけにはいかない。彼女のためにも。
「はい、約束です。」
うなずき、安心した笑みを見せる主。
「ところでうち思うんやけど――」
だが不意に話が戻される。
「あの子もきっとシグナムのこと、思ってたんちゃうかな。」
「・・・・・・」
あの子、とはリインのことだろう。慰めのつもりかそれとも何か根拠でもあるのか。しかしいいかげんな慰めなど主はするまい。
「あー、別に慰めとかそういうんやないよ。なんとなく、女の勘ってやつや。」
「勘、ですか・・・?」
「せや、うちはあの子とユニゾンしたこともあるんやで?」
「はぁ・・・」
ユニゾンで身体的に何らかのリンクがあるのは確かだろう。だがお互いの心の内までも読めるものなのだろうか。体験したことのない私にはなんとも言えないことではあるが――。
「それにな―――」
私の思案をよそに主は話をすすめる。まだ他に理由があるというのだろうか。
「うちもシグナムのこと好きやで。カッコいいし優しいし、そんでもって美人さんや。なんや惚れてしまいそうやわ。」
わずかに微笑んだ、それでも先程とはまた違う真剣な表情でまっすぐに瞳を覗き込まれる。いつの間にこんな顔をするようになったのか。そこには今まで見せたことのない大人っぽい雰囲気があった。
「・・・・・・」
しばしの沈黙。本気でどう反応していいか分からない私は固まるしかなかった。こういうのはあまり得意ではない。しかし主はやてはと言うとあの真剣な顔はどこへやら、にこにこと笑顔で私の反応を楽しんでいるようだ。いかにも主らしい。
「あ・・主、からかうのはやめてください!」
「ふふっ、ほんならうちはもう寝よかな。」
思惑通りであろう私の反応に満足したのだろう。どうやらおとなしく寝るらしい。
「シグナムもちゃんとお布団で寝なあかんよ。」
「はい、わかってます。」
当たり前とは言え、こういう細かい気遣いは嬉しいものだ。
嬉しいものではあるのだが・・・・・
「ほんまに?なんや心配やわぁ・・・。」
意外に私、信用ないのだろうか・・・。過去のこともあるとは言えあの時は事情も事情だ。それ以外にそんなことは・・・・いや、気のせいだとしよう。
「んー・・・、そや。今夜はシグナムと一緒に寝る!ええか?」
そう上目使いで問われる。ノーなどとと言えるわけがない。
「はい、いいですよ。」
「ほんなら抱っこや。ベッドまでつれてってな。」
「はい――」
左手は膝の裏へ、右手は背中へ通しそのまま抱えあげる。たしかこの国ではお姫様抱っこと言うらしい。最後にこうしたのはいつだったか。昔よりも腕にかかる体重は重たかった。けれどそれは心地よい重さ、生の証。愛しい、命の重さ。
「大好きやで、シグナム―――」
主の両腕が首に回されそっと顔を寄せられる。
時に悪戯で、時に甘えたがりで。けれどその全てが愛しい。
あなたは絶対にお守りしてみせます。
「私もです、主はやて――――」
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