「ところでもう準備されましたか?」
年中無休の0円スマイルで古泉が問い掛けた。部室には他に誰もおらず、長机を挟んでいるとはいえ野郎二人で向かい合うのは気分が悪い。
「今からするさ。」
俺は目の前のオーバーアクション付きの呆れ顔から8×8の盤面に視界を移し古泉のナイトをはじき飛ばした。
生命の定義やら人類の進化論などについて推論を巡らすと言う古泉的立場になぜか俺がフェードインすることとなった宇宙的ペット騒動も治まり春休みも目前となった昼過ぎ。
午前いっぱいの補習授業を珍しく早めに咲いた桜だか梅だかの風に散る花びらを数えるという幻想的かつ無意味な行為についやした俺は疲弊した視神経と脳細胞を回復させるべく部室へと向かった。
年代物の扉をノックすると
「はぁい」
という舌足らずなお返事が聞こえ
時をかけるパートタイムメイドがお出迎えという何とも素敵な日常が待っている
はずだった。
「遅いわよキョン。とっととはいんなさい。」
退屈な授業によって冬眠モードに入っていた聴覚に春が珍問屋をひきつれてやってきたみたいなボリュームの声が叩きこまれる。反射的に帰ろうと思ったが俺だとばれている以上ここでエスケープしようものならさらに悲惨なことになるぞ、とこの一年で培った経験とそれにより半強制的にレベルアップを果たした生存本能が告げている。なんせ憤怒やら怨念やらのこもったハルヒの視線は放射能並みに有害なのだ。明日の補習中ずっとそんな怪光線を背中に浴び続けたら体に鱗が生えかねない。
諦めて部室に入ってみればそこにはハルヒと古泉オンリーというなんとも帰宅願望を煽る光景が広がっていた。
朝比奈さんだけならまだしも毎日ほぼ確実に部屋の隅に設置されている読書ドールの姿も無い。
コンピ研でバグとりでもしてるのかと思ったが鞄もない。
長門不在というのはなんとも珍しくもはや異常事態の域に達する。
俺が、いよいよ異世界人との邂逅イベントが訪れるのかと不安のみで構成された未来予想図を描いていると
「有希とみくるちゃんならもう帰ったわよ。私ももう帰るし今日はあんたと古泉君だけ。」
どういうことだそりゃ。新しい罰ゲームか?
言っておくが俺がけなげにも毎日部室に通う理由の九割九分九厘は朝比奈さんの可憐という画数の多い字を具現化したようなメイド姿による心の洗浄及びその御手より注がれる甘露をいただくためであり古泉とのゲームは長門が本を閉じるまでの時間つぶしにすぎん。せっかくの午後をこいつと二人で過ごすくらいならウチでシャミセンのノミ取りでもしていたほうがよっぽど有意義に違いない。
「じっくり話合いなさいよ。気を使って先に帰ってあげるんだから。」
何をだ。
「アンタ寝ぼけてんの?明日のことに決まってるじゃない。30倍返しって言ったでしょ。」
あぁそういうことか。言われてみれば今日は既に13日。
「あのチョコケーキ作るのに一日かかってんだからね。私達の30日分に値するようなスゴイものを選ぶのよ。もしつまんないものだったら13の究極罰ゲームを味わわせてやるんだから。」
そういってハルヒが置いていったペラ紙にはこんなもん実行したうえで生きてくぐらいならいっそ清々しく切腹を選ぶであろう罰ゲームが列挙されていた。身勝手な団長様によって授業中に強奪されたルーズリーフとこんな形で再会することになろうとは夢にも思いたくなかったね。自分を張り付ける十字架を運んだ某聖人の気持ちが1ミクロンくらい分かる気がする。
というか俺も別にホワイトデーを忘れていたわけでは無くむしろ山を2回も掘り返したり朝比奈さんが2人になったりその他十通りくらいの意味で思い出深いバレンタインを忘れられるはずもなく、この一月お返しは何がいいかとしょっちゅう考えていたわけで、なんでアイツはおしとやかに待つことができないんだろうね。
催促するにしてももう少し言い方があるだろう。誰かハルヒの脳内辞書に遠慮という言葉を太字で刻み込んでマーカーを引いてくれ。
「それだけ楽しみにしておられるんでしょう。聞き方が不器用なのだと思えば可愛らしいじゃないですか。」
可愛いという修飾詞は他人を脅迫するような人間にはつかわん。お前はもう少し現実を見ろ。
「まぁ我々自体がいくらか非現実的な存在ですからね。」
その我々に俺も入ってるんじゃないだろうな。
「さぁどうでしょう。お望みなら入れて差し上げますよ?」
言いながら古泉は頬杖をついて実に楽しそうなニヤケ面を浮かべた。忌々しい。
と、ここでやっと冒頭に戻ったわけだ。
「僕は無難にアクセサリー類にするつもりなのですが。」
あぁそうかい。俺とカブるんじゃないかとかそういう配慮ならいらんぞ。罰金と称した古代日本の徴税より不条理な奢り制度により先日も諭吉さんが俺の財布から家出されたところだ。全員分のアクセ代なんか到底残っていない。
「ならばいいバイトを紹介しましょうか?」
お断りだね。
機関とやらがからむとまた面倒だからな。
まだ今月は半分も過ぎてないのに既に2回もイベントがおこっているんだ。確実にろくでもないことに巻き込まれるであろう春休みに備えて少しでもキャパメーターを回復させねば新学期には電波の国の住人になってるかもしれん。
「面倒などありませんよ。ただこちらで用意したプレゼントを涼宮さんに渡して頂ければよいのです。もちろん二人きりのときに。手間といえば短いセリフを覚えるくらいです。」
そりゃ楽なバイトだな。日頃の苦労を称えて副団長様に譲ってやるよ。バイト料だけは俺が謹んで頂いておこう。
遠慮しておきます、と苦笑を浮かべ駒をうごかすスマイル太郎。
自ら射程内に飛び込んで来たルークをナイトとポーンどちらでとろうか考えていると
「で、結局どうされるのですか?」
さあな。たとえ決まってたとしてもなんでお前に教えにゃならん。
「心友だからですよ。」
字が違う。どこのガキ大将だお前。
「冷たいですね。二人手をつないで薄暗い場所に入っていったあの時のことをお忘れですか?」
覚えているさ。あの日お前が神人に潰されなかったことが実に悔やまれるね。
俺の後ろを通らないようにして今すぐ部室から出て行ってくれ。そこの窓からでいいぞ。
「冗談ですよ。ライトなアメリカンジョークです。ところで…あのチョコケーキについて面白い話があるのですがご存じですか?」
デフォルト3割増しのニヤケ面を浮かべる古泉。
何か、少なくとも俺にとってはろくでもないことを提案するときの顔である。
まぁ言ってみるがいいさ。聞くだけ聞いてやろう。
「朝比奈さんのチョコですがね。僕の分はうえにもハートマークが書いてありましたよ。あなたはどうでした?」
…何が言いたいんだお前?返答次第ではチェスの駒が白黒関係無くお前の顔面に一斉に突撃をかますぞ。
「本人に聞いたんですがね、始めは両方ともハートを描くつもりだったそうですよ。」
無駄に楽しそうなニヤケ面を無視して駒を進める。
「ところが、涼宮さんに止められたそうです。あなたが勘違いして舞い上がるようなことがあっては哀れだから、と。」
それなら知ってるさ。箱に朝比奈さん直筆メモが入ってたからな。全く余計な真似を。普段から散々迷惑かけといてそのうえ俺の小さな幸せさえ奪おうってのか。
「クッ、アハハッ」
古泉が口に手をあてて笑いだす。
神経をおろしがねで逆撫でされている気分になりながら俺は珍しく本気で笑っているエセスマイリーの眉間に狙いを定めた。さて一番尖ってる駒はどれだろう。
「それ本気でいってるんですか?」
お前相手に冗談を言う理由なんざないね。
「いい加減とぼけるのはやめて下さい。」
何のことやら。
「涼宮さんの精神安定のために全面協力してくれ、とまで言うつもりはないですがね。」
そりゃありがたい。ハナッから協力する気などさらさらないからな。
お前の番だぞ。もう2、3ターンで俺の勝ちだ。
「気付いてないフリってのはフェアじゃないでしょう。」
古泉は笑顔をデフォルトに戻しルークを3マスほど動かして
「チェックメイトです。」
と宣言した。
その日初めて×が刻まれた対戦表を一瞥し俺は部室を後にして、
相変わらずの笑顔で手を振る古泉と別れ家とは逆方向の電車に乗り込む。
駅前のデパートまで30分。中を見て回ること2時間半。計3時間の長旅の末、朝比奈さんには茶器一式、長門には小説を選んだ。本屋にしては上等なラッピングを施されたハードカバー。既読を避けるためSFではないが朝のニュースに取り上げられるくらいは売れている代物だからつまらんってことはないだろう。一緒に買った銀色の栞は好きな模様とイニシャルを彫ってくれるとのことで、やたら愛想のいい店員の兄ちゃんに「少し待っててな〜」言われ適当なベンチにまで移動して大きく溜息。
「疲れた…ホント疲れた…」
まさかこんなに悩むとは思わなかった。体力も神経も擦り減りきっている。これはもうすぐに帰って飯食って風呂はいって惰眠を貪らねばなるまい。
しかし…
「まだ残ってんだよなぁ…」
懸案事項はあとひとつ。ただし難易度はフェルマーの最終定理を軽く超える。何故ならここで雪男の毛皮でも持ってかない限りハルヒは必ず文句をいうからだ。たとえどんなに悩んで決めたものであろうと関係なく訳の分からん理由をつけてゴネて、その挙句『仕方ないから貰ってあげるわ』とでもいいたげな態度で何故か実に嬉しそうな顔をしてかっさらっていくのである。あぁ目に見えるようだ。あいつ俺からモノを奪うときはやたらとイキイキしてるよなぁそういえば。
よし、なんか適当に選んで帰ろう。どうせ文句を言われるなら悩むだけ無駄だ。そんな時間があるなら朝比奈さんにプレゼントを渡すときの練習をすべきである。そう決めて立ちあがろうとしたところでふとあることを思い出し鞄の中から一枚の紙切れを取り出す。ところどころに丸のつけられたデパートの見取り図はさっき偶然出くわした阪中に押し付けられたものだ。
「こことこことここと…あのね、お勧めのお店に印つけといたから。これならきっと涼宮さんも喜んでくれると思うのね。」
という言葉にどんなオカルトショップかと見てみればなんてことない小物屋や服屋だった。
栞ができるまではまだ時間がかかるようで残念なことに丸のついた店を全部まわるくらいの余裕はありそうだ。まぁここでぼけっとしてても仕方ないしな。
本屋の兄ちゃんにとりに来るのが少し遅れるかもしれないと伝えると古泉並みに爽やかな笑顔でOKが返ってきた。それに押されるように早足でその場を離れ
「小物って柄じゃないだろうしやっぱ服か。あいつ普段どんなの着てたっけか…」
なんてことを考えながら店名だけで男子禁制な感じのする店を目指しエレベーターに向かった。