電柱に括られたおんぼろスピーカーが子供たちに帰宅を促す。ひび割れた声が響く夕暮れの公園に子供が一人立っていた。否、正確にはもう一人、少年がもたれかかっているカマクラ型の遊具の内側に少女が蹲っている。二人が内外から背を預けているその遊具はさっきまでコンサートのステージだった。外側の少年は無表情のまま宙をみつめ、
内側の少女は小さな体を抱いてこみあげてくる嗚咽を必死に押し殺していた。
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きっかけはささいなことだった。音楽の授業でとても上手に歌った子がいたのだ。そう、自分よりずっと。今までそんなことは無かった。彼女は何でも一番だった。運動も勉強も彼女が必死で努力をすればかなうものなどいなかったのだ。
「私はお歌も一番じゃなきゃだめなんだから」
そのプライドが彼女を動かした。「常に余裕を持って優雅たれ」が先祖代々の家訓である。その家訓にどこまでも忠実に生きたのが彼女の父であり、彼の娘であることが彼女の一番の誇りであった。負けるわけにはいかなかった。諦めるなど許されなかった。誰よりも上手く歌う術を求めて彼女は家中を探し周り……出会ってしまった。開祖の宝石翁が残した宝箱に仕舞われていた怪しげな杖に。
「初めまして新たなるご主人様。私かの魔法使いゼルレッチの残した愉快形魔術礼装カレイドルビーと申します。」
アニメの魔法少女が持っているステッキを3割増しコテコテで恥ずかしいデザインをした杖(自称マジカルステッキ)は羽型の飾りを揺らして挨拶した。声だけはやたら可愛らしいのがますます胡散臭い。もし少女が冷静だったならこんな危なそうな代物はとっとと箱に封印するなりなりへし折るなり暖炉にくべるなりしただろう。だがこのときの彼女は疑いもせず「それ本当?」と詰め寄った。願いは人の目を曇らせる。そこにつけこむのが詐欺の基本。
「もちろんです。さぁ願いを教えて下さい。どんな無理難題でも構いませんよ。」
アルターでも展開しそうな勢いで杖が吼える。瞬間少女は七色の閃光に包まれ……
その10分後、80年代のアイドル衣装を纏い市民公園ゲリラライブを敢行した。杖の能力、(平行世界の自分からの能力のダウンロード)によって与えられた歌声は確かに素晴らしかった。それも当然。別世界で歌姫と呼ばれた天才少女の能力をダウンロードしているのだ。誰もが聞きほれるような美声。だというのに周囲の人々の反応がおかしい。子供達は遊ぶ手をとめ呆然とし、母親達はわが子をかばうようにして後ずさっていく。原因は明白、歌声以外の全てが致命的にアレだったのだ。曲は数世代前のコッテコテのアイドルソング、ときおり入るわざとらしいMC、おそらく杖の力であろう明らかに過剰すぎる演出、そしてドーパミン全開ノリノリでステージをこなす少女の姿はなんというか……あまりに痛々し過ぎた。そりゃもう子供の遊びというフィルターを場外までふっとばし公園内の人々を一人残らずドン引きさせる程に。脳内麻薬が切れた瞬間、正気に返った瞬間に見た彼らの目が忘れられない。全員が蛍光ピンクのカバを見るような目で彼女を見つめ、視線が合いそうになると素早く逸らす。偶然居合わせた級友達も
「おうたがうまいんだね」
とだけ言い残し逃げるように公園から去っていった。
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以上、この公園で起こった悲劇の顛末である。「歌うまいんだな。俺に教えてくれないか」
無愛想だが真剣な声で少年は言った。皮肉ともとれる台詞だがそこにからかうような調子は無い。とまどった少女が返す言葉に詰まっていると彼は突然歌い始めた。さっき聞いたばかりの曲。一世代前のアイドルソング。音程もリズムもでたらめなそれに少女は屈託のない感想を述べた。
「あなた歌うの苦手なのね。」
「分かってる。だから教えて欲しいんだ。」
少女は尋ねた。
「なんでよ?」
少年が答えた。
「いたかもしれないから。」
的をえない答えにもう一度少女が尋ねた。
「誰が?」
少年は答えた。
「歌手を目指していた人が。俺が知らないだけでいたかも知れないんだ。」
もう一度少女が尋ねた。
「どこに?」
答えは返ってこなかった。沈黙の漂うなかで少女は少年が何らかの事情を抱えているのだと気付く。彼女はその幼さに反して物事を察することに長けていた。今よりもっと幼い頃に頼るべき人を全て失った彼女は他の同年代の子供よりも少し大人びた部分があった。土地の管理、代々の悲願、刻印の痛みと重み、子供のままでは耐え切れないことが彼女にはあまりに多すぎた。それらを一人で背負うためには大人になるしかなかったのだ。だから、今はすぐにでも謝って彼を慰めるなり話題をかえるなりするべきなのだということも知っていた。実際いつもの彼女ならそうしただろう。
だが、酷く落ち込んでいたからかもしれないし訳のわからないこの少年に嫌気が差していたからかも知れない。誰かに気を使う余裕なんて全く残ってなくてその結果少女は普段なら絶対にあり得ない、酷く子供染みた行動に出た。
「バカみたい。」
壁の向こうの、明らかに何かを抱えている少年に向かって苛立ちのままにあたりちらしたのだった。
「いつまでそこにいる気よ。あんたいったい何がしたいわけ?ワケわかんないわよ。言ってることおかしいし。あんた絶対変なやつでしょ。」
その言葉に少年が答えた。罵声を受けた後とは思えぬほど落ち着いた声だった。
「うん。よく言われる。」
「そ。あんたの周りの人たちは正直ね。」
「うん。俺にはもったいないくらいにいい人ばかりだ。……」
「だから……」こぼれかけた言葉が急に途切れる。首を傾げる少女が次に聞いたのは歌声だった。さっきと同じ曲を相変わらず調子はずれな音程で前より少し大きな声で。彼なりの照れ隠しなんだろうな、と少女は思った。その歌を聞きながらようやくまともに回りだした頭で今からどうするかを考えた。とりあえず急いで帰ったほうがいい。優等生で通っている(少なくともついさっきまでは)自分があまり遅くに出歩くわけには行かないし何より保護者の神父が問題だ。放任主義の固まりみたいな男だから心配しているなんてありえないけれど帰りが遅れるとあいつが夕飯を作ってしまう。あんな“チリソース煮詰めました”みたいなマーボーはもう二度と食べたくない。色々な意見が小さな頭を駆け巡り弾き出されたのはまたしてもいつもならあり得ないような結論だった。でも不思議と不満はない。結局少女は、何もかもデタラメなくせに一生懸命なこの歌をもう少し聴いていくことにした。今日は沢山落ち込んだからその分もう少し笑っておかなきゃ。
何度も繰り返される調子はずれな歌声に小さく溜息をついて少女はもう一度言ってやった。
「ほんと……ヘタクソ」
外から響く歌声が少しだけ大きくなった。少女も声をあげて笑った。可笑しくって涙が溢れていつになっても止まらなかった。
誰もいない公園で夜が来るまで二人ぼっち。背中合わせのボーイミーツガール。
衛宮士郎と遠坂凛の、それが始めての出会いである。
Embers2
それは稲妻のような一撃だった。
獲物を串刺しにしようと繰り出されるその一撃
かわそうとする試みは無意味だろう、それが稲妻である以上人間の目では捉えられない。
ありえない軌道を描いて進む白い閃光はけして獲物を見失うことはない。故にその名を“突き穿つ虎の白墨”−ホーミングホワイトタイガー―
伝説のマサカリ投法から放たれたチョークは昼休み以降延々と眠り続ける士郎の眉間を正確に抉りとった。
「ぐぁっ!!星が、星が見えたスターッ!!」
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「おぉ衛宮殿、随分と長い午睡でしたな。」
「おはよう後藤君。ところで昼休みあと何分?」
「すでに藤村女史の英語でござる。」
まだチカチカする視界にはクラスメイトの後藤君。前日みた番組によって口調が変わるという素敵なキャラの持ち主だ。目の中の星が邪魔でよく見えないがこの喋り方は間違いない。昨日大岡越前の再放送やってたし。
「ところで後藤君、俺はなかなかにとびっきりな悪夢を見ていた気がするんだが妙な寝言とか言ってなかったか?」
「いや特には。何度も遠坂嬢の名前を呟いていたくらいでござるよ。」
「なるほど。さっきからグサグサ突き刺ってる視線の理由はそれか。」
寝起きの背中に注がれる熱い視線。主にクラスの男子からなのでちっとも嬉しくない。込められたメッセージは衛宮ブッ血KILL。学園のアイドル的立場にある凜と幼馴染みなどやっているため、士郎は一般男子の妬みと八つ当たりを一身にうけるハメになっていた。
「衛宮君、クラスメイトと話す前に何か先生に言うべきことがあるんじゃないの?」
教卓から響く声に顔を向ければそこには指にチョークを挟んだ冬木の虎、もとい藤村大河の姿。
「おはようございます藤村先生」
「違うっ!!今は楽しい楽しい英語の授業中なのよ衛宮君。」
「あぁそうだった。グッドモーニングティーチャー。」
「ちっがーう!!違う違う違う違う違う違〜〜〜〜〜う!!」
無駄に流暢な発音で答えた士郎目掛けて再び虎チョークが乱れとぶ。士郎、その全てを限界までひきつけて回避避回避回避。
「落ち着くんだタイガー。見ろ、巻き添え食った後藤君が真っ白になってるぞ。」
「タイガーっていうな〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
数を増すチョークを受け流しつつ士朗は粉まみれになっていく後藤君に心のなかで謝るのだった。
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「弓道場で間藤が呼んでる。悪いけどちょっと顔出してくれ(殴)」
そんなメールが士朗に届いたのは虎の暴走によって荒れ果てた教室がクラス全員の協力によってなんとか元の姿を取り戻した放課後のことだった。いつものことなので皆文句も言わずテキパキ役割分担し片付けを行う。元凶である士朗の担当は一応被害者殆ど加害者の暴れタイガーを捕獲し掃除ロッカーに放り込んで落ち着くまで閉じ込めとくことである。理由はともあれクラス一丸となって何かに取り組めるというのは素晴らしいことなんじゃなかろうかと士朗は思う。ただ次の授業の教諭までもが「あぁ……またか」の一言だけで片付けに参加してくれるというのはさすがにどうなんだという気はするが。話が逸れた。先ほどのメールだが差出人は美綴綾子、弓道部の主将である。
教室に居残って一成のお説教をうけていた士郎(虎の話ではなく今朝遠坂の家の方から歩いてきた兼について)はこれ幸いとばかりに席を立った。
「あのな一成、俺は遠坂を起こしに行っただけだ。知ってるだろ、あいつは遅刻するくらいならいっそ休むっていう自分ルール大王だ。絶対俺も巻き添えにして。そうなったら誰がお前に弁当の肉を分けてやるんだ?」
「ぬぐっ…」
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